坂研究で紹介した「女遊坂」が、女遊びを連想するのか、注目されているようです。だが「女遊」はアイヌ語の「オナツヘ」で、”川の末端の方が切れる”の意味で、”女遊び”とは全く関係がないことは、これまで何回か言及した通りです。
坂研究をしていると、「女遊坂」の他にも「女」の字が入る「女坂」「女殺し坂」「女転し坂」が出てきます。
◉女坂
○神社やお寺さんに行くと、たいがいは2本の坂道のどちらかを登ることになります。急な坂道(本来の参道)を「男坂」と言い、傾斜の緩やかな方の坂(回り道)を「女坂」と言いますね。
○次のように、坂名としての「女坂」もあります。
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「女坂とは、東山七条にある知恩院と妙法院の間から東方向の阿弥陀ヶ峰へ延びていく坂道のことである。周辺に京都女子中学校・高等学校、京都女子大学などの校舎が並ぶ。
京都女子中学校・高等学校、京都女子大学へと、朝夕に大勢の女子生徒や学生が上り下りするため、その通学路が親しみを込めて「女坂」と呼ばれている」
~(Wikipedia ja.m.wikipedia.org)より
○円地文子さんの長編小説に「女坂」(野間文芸賞受賞)があります。(私は未読)
~「コトバンク kotobank.jp」より
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◉女殺し坂
○一ノ関:女殺し坂(真柴字蔵主沢)
「ここでは、昔、暗がりの坂で男が愛する女を誤って殺してしまったという悲しい民話が名称の由来とされている」
~「いちのせき市民活動センター(center-i.org)自由研 おらほの坂」より
○おくのほそ道 街歩きマップ(一関市)
中尊寺金色堂ー高館義経堂ー迫街道分岐点ー女殺し坂ーおくのほそ道の碑
~「一関市観光協会 ichitabi.jp」より
○坂岡 真『女殺し坂 うぽっぽ同心十手綴り』
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◉女転し坂
○小田原から箱根 13 女転坂
鎖雲寺を出ると間も無く鎖雲川を渡ります。この橋は女転坂(おんなころがしさか)の入り口になります。しかし残念ながら現在、女転坂は私有地のため通行することはできません。県道は右にカーブしていきますが、本来ならここを直進していくのが女転坂です。
女転坂は駅馬に乗った女性が落馬して転がったことがあったことからついた名前だそうです。
~「blog.livedoor.jp」より
○楽天ブログ
「須雲川をわたると女転がし坂、この坂もきつい。寛永年間、女性の旅人が落馬して死んだため、この名がつく」
~「plaza.rakuten.co.jp」より
○箱根越えの辛さを今に伝える女転しの坂(箱根町)
「須雲川インターチェンジの出入り口を起点に県道732号線を西に進み、須雲川の集落をこえて須雲川を渡ると、ほどなくして急勾配の上り坂に出るが、注意しながら進むと崖側に朽ちかけた案内看板が見え、そこには「女転し坂」の由来が記載されている。
ここを馬に乗った夫人が通りかかったところ、落馬して命を落としてしまったことから「女転し坂」の異名を付けられたのだという。
この「女転し坂」の看板案内板には、「おんなころしざか」という読みがふられ、「転がし」ではなく「転し」となっていることから、元は「女殺し坂」と呼ばれていたのかもしれない」
~「miuken.net」より
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(写真:Atelier秀樹)
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『秀樹杉松』130巻3925号 2022.5.5.8/ hideki-sansho.hatenablog.com No.965