秀樹杉松

祖父と孫、禾と木、松と杉

東日本大震災(2011)から、明日でちょうど10年。 2年前(被災後8年)に三陸鉄道リアス線で慰霊の旅をした時のブログを再録します。

 

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本ブログ<秀樹杉松>の前号(3/6)で、東日本大震災10年の特集として、災害支援歌・鎮魂歌「♪花は咲く」「♪群青(合唱)」を取り上げました。

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明日3月11日は大震災(それに伴う原発事故の被害を含む)発生から、ちょうど10年の日に当たります。私は2年前の4月12日に、被災地の故郷を訪ね、復旧なった三陸鉄道リアス線に乗って、慰霊の旅をしました。その時の<秀樹杉松>をここに再録することにしました。ご覧いただければ幸いです。

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<秀樹杉松>2019年4月12日号 の再録

 

2019-04-12

三陸海岸 3.11慰霊の旅 〜全線開通の「三陸鉄道リアス線」に乗り、災害と復興に思う。

編集

東北出身の私は「3.11東日本大震災8年後に、やっと被災地を訪れる機会を得ました。3.11を歌った「♪花は咲く」の歌詞に、亡くなられた方の無念の気持ちが織り込まれていますが、その中に「私は何を残しただろう」とあります。このくだりで私は涙が出ます。

大震災から8年、「私は何をしただろう」の思いでしたが、今回被災地を訪れ、亡くなられた方々への慰霊と8年後の被災の傷痕と復興の状況を見ました。

時あたかも三陸鉄道リアス線の全線が開通したので、北のターミナル「久慈」から宮古へ行き、宮古で一泊し、翌日に宮古から釜石を経て、南のターミナル「盛」で下車しました。

盛駅からJRのBRTバス高速輸送システム)のバスで、気仙沼まで行き、気仙沼からJR大船渡線で一関に出て、一関から新幹線で帰京しました。

そういう次第で、被災地の状況は列車・バスから見ました。そして夢中でシャッターを押しました。被災から8年後たった時点での、被害の傷痕と復興の状況を垣間見ることができたと思います。

宮古で一泊し、翌日浄土ヶ浜三陸復興国立公園へ行き、その素晴らしい景観に感動しました。もちろん海岸には災害の傷痕は認められたし、工事中の場所もありました。海岸で「岩手県立水産科学館」の伊藤隆司館長に出会い、同館を見学し、災害時の写真や資料も見ました。

リアス線の全線(久慈~盛)に乗って、復興を確認できましたが、JRのBRT(盛~気仙沼)のバスには衝撃を受けました。大船渡線の盛・気仙沼間は、鉄道ではなくバス(正確には、バス高速輸送システム)なのに、ビックリしただけでなく、このことを知らなかった自分を情けなく思った次第です。3.11大震災の傷痕の大きさを知らされた思いです。

撮ってきた写真の一部を掲載します。殆どは列車内から撮影したもので、解説抜きです。ご覧ください。

 

久慈駅

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リアス線車両

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宮古駅

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浄土ヶ浜三陸復興国立公園)          

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岩手県立水産科学館伊藤隆司館長)

伊藤館長をはじめ館員の皆様にお世話になりました。ありがとうございました。

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リアス線からの眺め

車内からでしたが、被災地の状況を垣間見ました。未だ災害の傷痕が見られました。雄大な海は本来は「素晴らしい」のですが、あの波が押し寄せてきたのかと思ったら、何か「恨めしい」感じもありました。

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恋し浜駅

駅の愛称は「愛の磯辺」。小石浜地区では、養殖のホタテに「恋し浜ホタテ」と名付けて販売。駅弁「恋し浜ホタテ照り焼き弁当」も販売(ウイキペディア)。恋し浜駅絵馬が待合室に飾られ、皆様の願いと「愛」のこもった駅(三陸鉄道サイト)。新しい形の恋愛パワースポットとして、近年注目を集めている駅(project.3.11)。

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 盛 駅

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BRT大船渡線 盛〜気仙沼

線路跡を走るバスに、被災の大きさを痛感しました。

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『秀樹杉松』105巻2836号 2019.4.12/ hideki-sansho.hatenablog.com #476

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写真:Atelier秀樹

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『秀樹杉松』121巻3747号 2021.3.10/ hideki-sansho.hatenablog.com #787

 

2011年 3.11「東日本大震災」から10年!~復興支援曲「花は咲く」と、 南相馬市立小高中学校で生まれた合唱曲「群青」を歌う。

 

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「2011年3月11日発生の「東日本大震災」から10年たちましたが、被災の悲惨は忘れることはできません。震災2年後に、二つの歌(
復興支援・鎮魂)歌が発表されました

1) 復興支援の曲花は咲く」NHK「明日へ」東日本大震災復興支援ソング

2) 被災で4名の生徒が死亡した、福島県南相馬市立小高中学校の平成24年度卒業生(被災時の1年生)と、音楽教諭の小田美樹さんによって作られた曲群青」(合唱曲)

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本稿では、10年前の3.11に思いをいたし、この二つの歌を取り上げます。特に「群青」について、誕生に至る経緯を詳しく書き留めました。

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花は咲く NHK 東日本復興ソング

 作詞:岩井俊二、作曲:菅野よう子

 

真っ白な 雪道に 春風香る

わたしは なつかしい 

あの街を 思い出す 

 

叶えたい 夢もあった 

変わりたい 自分もいた 

今はただ なつかしい 

あの人を 思い出す

(中略)

花は 花は 花は咲く

いつか生まれる君に

花は 花は 花は咲く

わたしは何を残しただろう

 

花は 花は 花は咲く

いつか生まれる君に

花は 花は 花は咲く

いつか恋する君のために

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東日本大震災からの復興を音楽で支援する復興支援音楽祭 歌の絆プロジェクト(2018)   主催:三菱商事東日本放送朝日新聞社)より

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群青(合唱曲)

ぐんじょう 英語名:Azure

 

作詞:福島県南相馬市立小高中学校平成42年度卒業生

作曲:小田美樹福島県南相馬市立小高中学校教諭)

2013年8月10日、楽譜第1刷発行。2014年9月1日、CDリリース。(ハナムジカ)

 

ああ あの街で生まれて君と出会い

たくさんの想い抱いて 一緒に過ごしたね

 

今旅立つ日 見える景色は違っても

遠い場所で 君も同じ空

きっと見上げてるはず

 

「またね」と手を振るけど

明日も会えるのかな

遠ざかる 君の笑顔今でも忘れない

 

あの日見た夕日 あの日見た花火

いつでも君がいたね

当たり前が幸せと知った

 

自転車をこいで 君と行った海

鮮やかな記憶が

目も閉じれば 群青に染まる

 

あれから二年の日が 僕らの中を過ぎて 

三月の風に吹かれ 君を今でも想う 

 

響けこの歌声

響け遠くまでも あの空の彼方へも 

大切なすべてに届け

 

涙のあとにも 見上げた夜空に

希望が光ってるよ

 

僕らを待つ群青の街で

ああー

 

きっとまた会おう

あの街で会おう 僕らの約束は

消えはしない 群青の絆

 

また会おう 

群青の街で

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/ 合唱作曲家弓削田健介Official site (yugemusic.com)  によりました。

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♪群青(合唱) / 福島県郡山市立郡山第六中学校合唱部

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小田美樹 / 群青  / 洗足学園音楽大学

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6年目の小高中学校〜ぐんじょう を歌い継ぐ(OurPlanet-TV)より 

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<合唱曲「群青」の誕生>

 

10年前の2011年3月11日に発生した「東日本大震災。災害の深刻さを知る上で、また思い起こす上で、被災地の福島県南相馬市立小高中学校の平成24年度卒業生と小田美樹教諭とが大震災2年後に作り上げた合唱曲「群青」。この名曲誕生の経緯を知ることは、きわめて有意義だと思います。

 

以下、ウィキペディアja.m.wikipedia.org)に詳説されている「『群青』の誕生まで」を紹介します。少々長いですが、是非お読みいただければ幸甚です。

 

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「群青」の誕生まで    / ウィキペディア (ja.m.wikipedia.org)より

 

南相馬市立小高(おだか)中学校は、福島県浜通り南相馬市南部の小高区に位置した。2011年3月11日の東日本大震災で、津波により街が甚大な被害を受け、生徒も4名死亡した。(うち、「群青」1期目の平成24年度卒業生の同級生が2名。)

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この曲を作った、平成24年度卒業生は震災当時、中学1年生をもうじき修了する頃であった。この頃の1年生は106名在学していた。

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2011年3月11日は、3年生の卒業式が行われ、午前中で学校は放課となった。その数時間後の14時46分、東日本大震災が発生、津波によって小高の街は甚大な被害を受け、後に小高中の生徒が4名死亡した。そのうち1年生は2名死亡した。

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また、福島第一原発事故によって、小高区が半径20km圏内の警戒区域に指定されたことから、小高中学校も小高区外に避難することとなった。その際、津波で犠牲となった2名を除く104名の1年生も、大半の97名は小高中学校を離れ、北は北海道、南は長崎県まで、全国に散り散りとなった。

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4月22日に新学期を迎え、南相馬市北部の鹿島区にある、南相馬市立鹿島中学校を間借り(およそ半年後、同じく鹿島区にある、南相馬市立鹿島小学校に仮設校舎が完成し移転)して再開した小高中学校も、2年生に進級した生徒はわずか6・7名にとどまった。

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友だちが全国に散り散りとなり、原発事故で小高に戻れないことなど、様々な不安が生徒たちにのしかかり、わずか6・7名のの2年生も、心を痛め、音楽の授業では歌が歌えなくなっていた。音楽の授業を受け持っていた音楽教諭の小田美樹も歌うことができなかった。皆が歌うことの難しさを感じていた。

 

(中略)

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小高中学校では毎年、卒業式の時に卒業生が希望や未来を語った歌を合唱することが、舞年の慣例となっている。

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津波で2名の同級生を亡くしたり、遠い疎開先から今もなお戻ってこない同級生などを思ったりする3年生が、想いを綴った日記や作文、他愛もないおしゃべりから、3年生の思いを地道に小田は書き留めて行き、それをつなぎあわせて、「群青」の大筋の歌詞が出来上がった

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この詩に、小田が作曲して、平成24年度卒業生のための卒業式の歌群青 - 平成24年度 小高中学校卒業生に捧ぐが完成した。2013年2月のことであった。「群青」という題名は、小高中学校の校歌に「群青」という言葉があることのほか、小高中の野球クラブの「小高群青クラブ」、小高中の文化祭の「群青祭」といった、小高中を象徴する言葉であることから、「群青」と名付けた

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生徒たち自ら作詞したこの曲を練習するにつれて、長い間歌が歌えなくなっていた3年生の生徒たちも、徐々に歌声を取り戻し、卒業式ではできるかどうか危惧されていた学年合唱で、「群青」を合唱することを成功した。

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それ以降、この曲は小高中学校の在校生たちに代々受け継がれている。

 

            ー 以上、 ウィキペディアja.m.wikipedia.org)より

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写真:Atelier秀樹

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『秀樹杉松』121巻3746号 2021.3.6/ hideki-sansho.hatenablog.com #786 

 

西條奈加『心淋し川』を読む ~ さすが「直木賞」受賞作品ですね、読んでよかった!

 

西條奈加『心淋し川』(集英社 2020)

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書店の新刊書コーナーで目に止まり、(著者の名は知らなかったが)三つの理由で選択しました。①直木賞受賞作品、②書名(心淋し川=うらさびしがわ)、③著者のお名前「奈加」

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私は、芥川賞よりも直木賞受賞作品の方が好きです。もちろん、書名や著者名も重視します。しかし初めて聞く(見る)お名前:西條奈加に一瞬戸惑ったが、母の「ナカ」と同じなので、ぜひ読んでみよう!と。

うらさびしい」という言葉を知ってはいたが、「心淋しい」と書くとは(正直)知らなかった!

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表紙カバーのに目をやると、江戸の片隅、どぶ川沿いで懸命に生きる人々のささやかな喜びと深い哀しみが胸に沁みる感動連作!とある

ここまでわかれば、1600円は安い。実際に読んだ感想は、期待以上であった。久しぶりで、心温まる小説を読んだので、ブログ<秀樹杉松>に投稿したくなりました。皆さま、よろしかったら本作品『心淋し川』をお読みください。

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著者:西條奈加さん

著者の西條奈加さんは、(私が知らなかっただけで) 1964年生まれの56歳。日本ファンタジーノベル大賞受賞で2005年にデビュー。中山義秀文学賞吉川英治文学新人賞。そして、本書『心淋し川』で第164回直木賞受賞(2021)。初期はファンタジー要素のある時代小説であったが、のちに一般の時代小説に移行したそうです。

(作品リスト)

金春屋シリーズ、善人長屋シリーズ、神楽坂日記シリーズ、南星シリーズ、その他の作品

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<六つの短編連作>

本書の内容にわたる紹介は控えますが、一つだけ。この小説は六つの短編からなっています。

心淋し川(うらさびしがわ) ○閨仏(ねやぼとけ) ○はじめましょ ○冬虫夏草(とうちゅうかそう) ○明けぬ里 ○灰の男

 

全く別の短編だと思って読みはじめましたが、読み進めるうちに「なんかおかしい」。別々ではあるが、関連しているような妙な感じ。最後の「灰の男」を読んでやっと分かりました。「別々だが関連をもっている」のです。表紙カバー帯の「・・・胸に沁みる感動連作!」、つまり「連作」なんですね。

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本書の舞台は、以下のように賑やか(静か?)な町や川などが登場します。私は東京在住66年ですが、川歩きや坂めぐりなどで行ったことのある場所が多いです。

千駄木町、心町、心淋し川、曙川、藍染川、根津門前町根津権現護国寺、宮永町、駒込浅嘉町、白山権現、ヤッチャ場(青物市)、浜町川、八丁堀、不忍池、南北の町奉行所、日本橋通り二丁目、、、。

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写真:Atelier秀樹

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『秀樹杉松』121巻3745号 2021.3.2/ hideki-sansho.hatenablog.com #785

山田内閣広報官が辞職!「体調不良」はないでしょう、「責任をとって」じゃないですか!

 

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総理の擁護も虚しく山田内閣広報官がやっとやめました

先般の国会での、人をくったような不遜な態度。これをあたかも「褒める」かのようなコメントをした「弁護士氏」(某テレビでレギュラーメンバー)には呆れました。

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にもかかわらず、ついに辞任。再度の国会への出席を避けるため、前日に「体調不良」になり入院したのは明白。子供にもわかる展開です。「反省しているから、職に留まって!」と最大の弁護応援を隠さなかった総理、さすがに「やむを得ない」と、持回り閣議で辞任決定。

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本ブログ前号では「辞職すべし!」は避け、「期待をしている」と結びました。この真意が通じたのかな、期待に応えて辞任。前総理の総理秘書官、それと現総理の内閣広報官。”女性活躍”のシンボルとも評価されていたようですが、こんな”女性活躍”ならお断りしたい

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それにしても、前総理と現総理に可愛がられ重用された女性高官の末路は、なんか象徴的ですね!総理長男が絡む、最近の政治状況。総理は責任を感じないのですか?

接待を受けた総務省幹部や、招待側の会社の関係者も責任を問われたが。総理は?

 

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写真:Atelier秀樹

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『秀樹杉松』121巻3744号 2021.3.1/ hideki-sansho.hatenablog.com #784

総理長男がからむ、大がかりな総務官僚接待。倫理規定で幹部ら11人懲戒処分。「Y内閣広報官」の怪!

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総理長男がつとめる放送関連会社による、総務官僚の接待は、なんとも不思議。「知らぬ存ぜぬ」で通そうとしたが、ついに概要が判明。珍しく、総務省の対応が少し速い?という印象もあったが、結局は「総理長男」が絡むので早めに拡大を防ぎたかっただけでしょう。

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しかし、もう一つ、大きな目論見があるのではないか。それは総務省だけの問題」に留め、「内閣とは関係ない」で凌ごうとしたのではないか。つまり、現職の「Y内閣広報官」も、総務省時代に接待を受けたメンバーに入っていることが、明らかになったからである。おそらく、このことは知られないで乗り切りたかったのでしょう。

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というわけで、総務省だけの問題」ではなく、「現内閣も絡む問題」に発展しました。息子の問題だけで済ませたかったが、そうもいかなくなった総理も困っていることでしょう。私は、本件に関しては「Y内閣広報官」に大きな関心を持っています。

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Y内閣広報官の経歴を調べると、現総理の前任者の「総理補佐官」であったことは特筆されるべきでしょう。元総理の補佐官は「親衛隊」で固められ、「忖度」の連発で総理を守りきったことは、記憶に新しい。

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その後は総務省情報流通局長、総務審議官等を歴任。この両ポストは「接待」の中心ポスト。そういう関わりで、接待を受けていたので、名前が出てきたのです。なお、総務審議官を退職して2ヶ月後に、現内閣発足に伴い「内閣広報官」に就任している。「女性初の内閣広報官」「異例の抜擢」「国政における女性活躍の代表格」などともてはやされたのです。(いろいろ調べました)

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私がなぜ「Y内閣広報官」に特別の関心を持つかは、記者会見はあまり得意ではなさそうな現総理の会見を、あからさまな意図を隠さず仕切っているからです。なんか「偉そうな」言動に加えて、会見時間を短くしたり、質問を一人一問に限定したり、特定の社(朝日・東京・テレ朝etc)の質問を封じているのが、はっきり見てとれるからです。

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総理記者会見の回数減らし、質問者の人数制限、質問社の選り分け(特定社の排除)、、、あまりにも露骨ですよ。なんのための総理記者会見なのか。不透明な会見仕切り。その演出者が「Y内閣広報官」なのです。

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「内閣広報官」は「特別職国家公務員」(次官級)なので、倫理規定の対象外となっています。したがって、今回の総務省の懲戒処分は免れ、給与の一部返納で乗り切ろうとしています。(今日の朝刊によれば)総理は「深く反省している、女性の広報官として期待しているので、そのまま専念してほしい」

 なるほど、「ひとかたならぬお世話になっている総理」としては、当然でしょうが、国民としては納得できないでしょうね!

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職務の重要性に鑑みて、身分・給与・権限が保証されている「特別職国家公務員」、「内閣広報官」。わたしもYさんに期待しているのですよ。だから実名ではなくイニシャルを使っています。T大と共に日本を背負っているW大の「進取の精神」お忘れではないでしょうね。

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写真:Atelier秀樹

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『秀樹杉松』121巻3743号 2021.2.25/ hideki-sansho.hatenablog.com #783

半藤一利さんの遺作『歴史探偵 忘れ残りの記』を読みました。

 

 

私は<秀樹杉松>2/4号で、半藤一利さんを追悼し、名著『日本のいちばん長い日』を読みました」、を書きました。1週間後の2/11新聞広告で、半藤一利『歴史探偵 忘れ残りの記』の発刊を知り、書店に駆けつけて購入しました。奥付を見たら、発効日は前日の2/10となっていました。

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本稿では、『歴史探偵 忘れ残りの記』(半藤一利著、文春新書)を取り上げます。

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1)「書名」

書名の『歴史探偵 忘れ残りの記』は、とってもいいですね。

 

2)「まえがきに代えて ー 生涯読書のすすめ」

 

「生涯読書のすすめ」は私も全く同感で、子や孫にも強調しています。しかし、半藤さん(昭和5年生まれ)は終戦時に都立中学校(旧制)3年生だったと思いますが、私(6年遅れの昭和11年生まれ)は東北の国民学校初等科3年生に過ぎなかった。

 

◉まえがきの文中に「歴史探偵を職業とするようになって、、」とか「歴史探偵を自称するようになって、、」と書かれていますが、書名のトップに「歴史探偵」を登場させたのは、自然の流れでしょう

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3)「あとがき」(絶筆)

◉あとがきの書き始めの文章は、以下のとおりです。

「わたくしは、ゴルフもやらず、の運転もせず、旅行の楽しみもなく、釣り山登りも、とにかく世の大概の方がやっている趣味は何一つやらない。…スマホパソコンも、…縁なき衆生である

 

私も「ゴルフ・車・旅行」は全く無縁なので、親近感を覚えます。ちょっと似たところがあるかな?ですが、山登りだけは過去に20年間やりました。また息子のはからいで、パソコンは定年直後(24年前)から、スマホはごく最近から使っています。

 

◉「あとがき」によれば、本書は半藤さんのエッセイをまとめたもので、出典は文藝春秋の営業部が毎月出していた「新刊のお知らせ」というパンフレットの由。

「わたくしはそこに一九九九年四月から二〇二〇年一月まで、じつに二十余年も「歴史探偵がいく」と題して連載を続けた」

◉ほかに、新聞に書いたコラム、雑誌エッセイ欄に書いたものなど、

老骨が、むずかしいことをやさしく/やさしいことをふかく書いたもので本書は成り立っている」

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絶筆となった「あとがき」は、以下の文章で終わっています。

「それにつけても、私のエッセイは、いくら好奇心の赴くままとはいえ、いわゆるエッセイの本道からは、ずいぶんとずっこけたものであることか、と深く感じ入った。大道を行くにあらず俺の楽しみは裏道よとあらためて納得した三つ子の魂百までも、いや、ただしくは九十一まで東京は向島下町の悪ガキ育ちの本性は変わらないもんなんであるな」

    

   二〇二一年一月      半藤一利

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◉本書の内容にわたることは控えますが、章名だけを紹介します。皆さん、どうぞ本書をお読みください

半藤一利さんのご冥福をお祈りいたします。

 

第一章 昭和史おぼえ書き

第二章 悠々閑々たる文豪たち

第三章 うるわしの春夏秋冬

第四章 愛すべき小動物諸君

第五章 下町のガキの船出

第六章 我が銀座おぼろげ史

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写真:Atelier秀樹

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『秀樹杉松』121巻3742号 2021.2.24/ hideki-sansho.hatenablog.com #782

書(フミ)読み、文(フミ)書く〜2月22日生まれのFB友への祝賀メッセージ 〜 F・ショパン、G・ワシントン、高浜虚子、三浦環、都はるみ、も同じ誕生日です!

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Facebook「今日2月22日は〇〇さんの誕生日。お祝いのメッセージを送ろう」の案内が出た。FB友の〇〇氏へ、早速メッセージを送りました。単なる「誕生日おめでとうございます」だけでは、と思い、少し数字遊びをしました。

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2月22日は「2が3つ」→「23」→「フミ」。〇〇氏は学識者で文筆も達者と思われるので、「書フミ読み、文フミ書く」、にすぐ決まりました。実は、私はこういう数字遊びが好きなのです。

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因みに、2月22日生まれの有名人を(Wikipdiaで)調べたら、G・ワシントン(初代米国大統領)、F・ショパン(大作曲家、ピアノの詩人)、高浜虚子三浦環都はるみ、、、。楽家が多いですね。〇〇氏も有能なミュージシャン(歌手)だから、偶然ではない感じ。

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なお、2月22日の誕生日花は「ビオラ」で、花言葉は「誠実」なそうです」

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因みに、クラシック音楽ファンの私は、作曲家を生年で覚えるようにしています。

ショパン1810年生まれなので、「ショパンは天才」と覚えました=(1810の10=ten=天)→天才(実際に天才です)。

シューマン(1810)。ショパンは天才、シューマン

ベートーヴェン(1770年)はナポレオン。70=ナオー= 奈翁 →ナポレオン

シューベルト(1797)は、「泣くなシューベルト」。797→泣くな!

ヴィヴァルディ(1678)は、「四季」いろんな花が咲く。1678=いろんな花

ウェーバー(1786)は、→人悩む(1786)ロマン派の先駆

メンデルスゾーン(1809)→奥(09)床しい/ 奥深い。 

ブラームス(1833)→ ブラームスは燦々(33)

ボロディン(1833)→ ボロディンボロを纏って散々(33)

チャイコフスキー(1840)→走れ(840)チャイコフスキー

ヨハン・シュトラウス二世(1825)→人はニコニコ(25)

マーラー(1860)→瓏(60)々たるマーラーの音楽

ハイドン(1732)→人並みに(1732)おごれや

 

<注>

以下略。クラシック音楽愛好者なら、私の覚え方に「なるほど」と感じる方もおられるでしょうが、「意味がわからん!」と言われる方もおいででしょう。要は私自身がわかればいいわけです。

 

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写真:Atelier秀樹

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『秀樹杉松』121巻3741号 2021.2.21/ hideki-sansho.hatenablog.com #781