坂めぐり(第18回:17/12/26) 道玄坂、宮益坂、間坂(まさか)、間坂(あいだざか)、オルガン坂、スペイン坂、etc.
渋谷の有名な坂や面白い名の坂を巡ってきました。今年の歩き納めです。 / Atelier秀樹
写真スペースがゼロになったため、今月の坂歩きをやめていたが、今年の「めぐり納め」のつもりで、渋谷の有名な坂を歩いてきました。古い由緒ある坂とともに、現代人がつけた地域に密着した面白い名の坂もあります。
<今日の坂めぐりコース>
(渋谷駅)~オルガン坂~スペイン坂~間(ま)坂~円山坂~道玄坂~宮益坂~金王(こんのう)坂~八幡坂~代官山坂~南平坂~間(あいだ)坂~(渋谷駅) 以上11坂
<坂メモと写真>
井の頭通東急ハンズ前の交差点からパルコ前交差点へ上る坂道。通りの周辺に音楽関係の店が多かったところから命名されたようです。東急ハンズ前の階段がオルガンの鍵盤に見えるから、という説もあります。(渋谷区HP)
スペイン坂
パルコパート1裏から井の頭通へと下る坂道。喫茶「阿羅比花(アラビカ)」の店主、内田裕氏は、写真で見たスペインの風景に惹かれ、店の内装をスペイン風に統一していました。昭和50年にパルコからこの坂の命名を依頼された時には、迷わずにこの名をつけたそうです。(同上)
間坂(まさか)
井の頭通から公園通りへLoft沿いに進む道。平成元年、Loftが一般公募により命名しました。「渋谷駅と公園通りとの間」「ビルとビルの間」「『まさか』という語呂のよさ」「『間』という漢字が人と人との関わり合いをイメージする」との理由です。(同上)
円山坂(まるやまざか)
渋谷区円山町。松濤郵便局前交差点南西60mから南に入る坂道。(sakagakkai.)
渋谷駅ハチ公口前から目黒方面への上り坂。江戸時代、和田義盛の残党、大和田太郎道玄が、渋谷氏滅亡後にこの坂に出没し、山賊野盗の振る舞いをしたことから命名されました。また、「天正日記」によると、道玄庵という寺の庵主が、徳川家康に由緒書を出していることからこの名がついたという説もあります。(渋谷区HP)
宮益坂(みやますざか)
渋谷駅から青山通りへ上る坂道。江戸時代、坂の途中にある御嶽神社にあやかって、町名を渋谷宮益町に変えたためこの名がついたといわれます。これ以前は「富士見坂」と呼ばれていました。(同上)
金王坂(こんのうざか)
渋谷区にある坂。現在は青山通り(国道246号)となっており、青山通りと六本木通りの分岐点から宮益坂交差点に至る、およそ200mの区間が相当する。金王坂は頂上で宮益坂の頂上と一致する。近くには渋谷城跡である金王八幡宮がある。金王という地名はこれに由来する。(Wikipedia)
八幡坂
渋谷区東1丁目と渋谷3丁目の間。明治通りの並木橋交差点から金王八幡神社の鳥居付近まで。名称は八幡神社に由来する。この八幡通は中世の鎌倉道の名残である。(渋谷区HP)
代官山坂(だいかんやまざか)
渋谷区代官山町。代官山の名は、昔大官所があったことから起こったと伝えるが、その証左はない。江戸時代中豊澤村の小字名にこの名が見られる。(sakagakkai.)
南平坂(なんぺいざか)
渋谷区南平台町にある坂。鉢山町交番前交差点から聖ヶ丘協会付近まで。坂名は町名に由来する。南平台町は明治44年に渋谷町が誕生した時にできた町名である。(sakagakkai.)
間坂(あいだざか)
渋谷駅西口からセルリアンタワーの裏側を通って南平台方面に抜ける坂。坂名の由来ははっきりしないが、昭和3年町名地番の改正が行われ、この坂が大和田町と桜丘町との境になったところから、「両町の間にある坂との意味でこのように呼ばれたものであろう」(sakagakkai.)
<編集註>
「秀樹杉松」は本号(2520号)が第89巻の終号となり、次号(2521号)からは第90巻となります。
年内の坂めぐりは中止しますが、今年の投稿はまだ続きます。もう少しお付き合いください。
(秀樹杉松 89巻2520号)17/12/26 #blog<hideki-sansho> 160