秀樹杉松

祖父と孫、禾と木、松と杉

『秀樹杉松』<坂めぐり>を終えて ~まとめ~【続】

 <坂めぐり>まとめの続編です。/ Atelier秀樹

 11) 地元住民や通行者にはお世話になって感謝感激でしたが、外国大使館の警備警官にはがっかりし、正直不快な思いをしました。大使館の写真を撮ろうとしたら「待った」がかかりました。「法的な根拠でもあるか」と質したら、禁止はされていないが、協力をお願いしている由。不満ではあったが撮影をやめて移動しようとしたら、「写真撮影しなかったどうか確認したいので、写真機を出してください」と追い討ちをかけられた。撮影してないし、カメラ提出の義務もないので、もちろん断ったが、今回の一連の坂歩きで唯一の嫌な思い出です。

 12) 坂道に「坂標識」が出ている区と、ほとんど無い区がありました。金もかかるでしょうが なんとか設置してほしいものです。区政の課題は様々いっぱいでしょうが、関係者の皆様に訴えたいと思います。

 13) 坂標識があれば地図にも載るし、地域住民も大切にし、誇りにするようです。坂標識のある区民に探している坂の所在を尋ねると、すぐに教えてくれます。つまり住民自身の「わが町の坂」となっているのです。そうで無い地域では、坂があることすら知らなく、「聞いたことがない」の返答が返ってきます。やはり、地域住民・町会・区役所などの一体感が必要なようです。6月1日にブログ投稿する予定の<坂歩き>最終編に掲載する坂は、町会の力が結集した姿が示されます。どうぞ、お楽しみに。遅くても夕方までには、お届けできると思います。

 14) 地図への「坂名」記載がベストです。坂標識がなければ、地図には載らないようです。地図にはご承知のように、道路・線路・川・町名と街区番号・官公署・学校・交番・病院・公園・寺社・コンビニ・デパート・墓地・銀行・交差点・郵便局…など、列挙しきれないほどの項目が記載されます。したがって、スペースの関係から、坂名が記載できないケースも当然出てきます。いずれにせよ、坂標識の設置が極めて大切になります。

 15) 道に必ず坂があるとは限りません。海に近い下町には坂がないか、少ないのは当然で、逆に山手地域に多いのも明らかです。昔は人口も少ないし、また道路を作るのも大変なので、坂は少なかったでしょうが、人口増と交通量の増大に伴い、道路が増えたと察せられます。そして坂には名前をつけて、「〇〇坂で会いましょう」というように、いまの町名・番地みたいな役割を果たしていたのではないか。だから例えば、稲荷神社の脇の坂なら「稲荷坂」と呼ばれたのでしょう。このように、坂(道)は住民に密着した重要な場所だったと思われます。坂を大切に扱うのは、歴史を大切にすることに繋がるのではないでしょうか?

 16) 23区で坂の多い港区の「公式ホームページ/坂図鑑」は見事なものです。1. 潮見坂から86.桑原坂までの区内86坂が収容されており、通し番号付きの一覧表と、その場所に坂番号のついた地図が出てきます。どちらからでも検索が可能で、アクセスすると坂の所在場所(町名と番号)、坂名の由来が出てきます。

 因みに、「坂学会/東京23区の坂」(sakagakkai.org)の港区内の坂は130坂がリストアップされています。この中には、階段5、痕跡4、消滅5が含まれています。一方、日本坂道学会の「東京23区の坂道」(tokyo.sakura.ne.jp)には118坂が掲載されています。港区の公式HP「坂図鑑」には86坂が収容されており、確か全てに坂標識が備わっていたと思います。

 17) 港区は坂学会リストでは130坂で、23区中最も多い。「坂図鑑」の構築に見られるように、坂行政に力を入れているようです。因みに港区は、昭和22年に芝区・麻布区赤坂区が合併して誕生した区で、新しい区名案が提出されて審議が進められ、区名の案の一つに「今後の我が国の発展は貿易の振興にあるが、その素材とも言える東京港を抱合している」ことから「東港区(とうこうく)」が候補になるも「東港区」では「東京都東港区」のように似た音が重なるので「東」の一字を除いて「港区」になったそうです。昼間人口が90万人、夜間人口が18万5千人と格差の多い区で有名です。港区に次いで坂の多いのが、文京区127坂、新宿区114となっています。私が巡り歩いた坂もこの3区が多かったのですが、総じて坂標識も整備されていました。

 18) 坂学会と日本坂道学会は、私が調べた限りでは、坂調査研究機関の双璧だと思います。テレビなどによく出てくる関係からか、タモリさんの「日本坂道学会副会長」は知られているようです。私は、坂めぐりの前半は坂道学会、後半は坂学会の資料を主に使いました。両方にお世話になった関係もあり、両学会に配慮することにしています。坂巡りや坂道歩きをする人にとっては、有力な学会・文献であることは間違いがなく、ここに連帯を表明します。

両学会のますますの活躍と発展を祈っています

 19) 何年か前に都内の中小河川歩きをしました。この川歩きと並行して『親川記』(1)~(38)」と題する紀行を書きました。『親川記』の全編(写真入り)は、このブログにも複製投稿しています。関心のある方はお読みください。今回の坂歩きは最初からブログ投稿です。

 20) 最後になりましたが、私が今回の<坂めぐり>を始めた動機で締めたいと思います。若い女の子たちのアイドルグループが流行っており、その中に「坂道シリーズ」(「46グループ」「坂道グループ」の呼称も)があることを知りました。その名は乃木坂46」と「欅坂46。プロデューサーは秋元康だと聞いて、美空ひばりの代表歌「川の流れのように」の作詞者であることに気づきました。川歩きしながらこの歌を口ずさみました。

 乃木坂は行ったことがあるが、欅坂は知らない。どんな所か行ってみようと地図とネットで調べたら、どうやら港区六本木のテレビ朝日の前が「けやき坂」のようだ。早速に乃木坂と六本木のけやき坂へ行って写真を撮ってきて、ブログに投稿しました。

 この時、「港区は坂が多いようだから、ほかの坂にも行ってみようかな」と閃きました。それが「港区内の坂巡り」にひろがり、ついには「23区の坂めぐり」へと発展したのです。しかし、これがまさか「50回・500坂」になるとは、想像もしなかったことです。坂めぐりを重ねるうちに、坂の魅力に取り込まれ、近辺の史跡など巡りも加えたものにハマったのです。川の魅力に取り憑かれた「川歩き」と、今回の「坂めぐり」は、自然と街を愛する私にとっては、繋がっているようです。

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 以上の「20か条」で、半年間にわたった<坂めぐり>のまとめとします。では、6月1日の<坂めぐり>最終号でまた会いましょう。

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                 『秀樹杉松』94巻2608号  2018-5-19,  #blog<hideki-sansho>248

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