<編注>
小説(特に推理小説)の場合は、読んだ本の内容には原則立ち入らないようにしていますが、今回の本はプロ野球の「落合博満監督」、しかも私が親近感を持っている落合さんに関することなので、ほんの少しばかり触れたいと思います。
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朝刊の本の広告を見て驚きました。
『嫌われた監督』の書名と、落合博満さんの顔写真が載っている。たしかに落合さんは、「みんなに愛された監督」ではないかもしれないが、さりとて「嫌われた監督」とはね!
よく見たら、「落合博満は中日をどう変えたのか」というサブタイトル(副書名)が、注意しないと気づかないような小さな字で添えられている。「嫌われた監督」という嫌な書名を柔和させる効果だけでなく、”変革者落合”を認めている感じが読みとれなくもない。
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ともかく買って読んでみることにした。私の読ん感想と、新聞広告のキャッチコピー、「各界からの反響」は、ピタリ一致します。なお、「異端の将」「従来の落合像を一変」の件(くだり)は、一般の読者にはそうかもしれないが、私には当てはまりません。
大谷ノブ彦氏の「スポーツノンフィクションの中で、最も面白く最も考えさせられた作品。歴史的大傑作」は、ズバリ私の感想・賞賛とおんなじです!
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<あとがき>に、著者の鈴木忠平さんによる執筆の動機が綴られている。
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週刊文春編集長から「落合さんを書いていてみませんか」と言われ、数日後『嫌われた監督』のタイトルで、と言われた。
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「なぜ、いま落合さんなんですか」という著者・鈴木さんの問いに、加藤編集長は、偽善でも偽悪でもなく組織の枠からはみ出したリーダー像が読みたいからだ、と言ったようです。タイトルが『嫌われた監督』なら書いてみよう、それなら書けるような気がする。なぜいま落合を書くのか、腑に落ちたそうです。
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当時スポーツ新聞(日刊スポーツ)の駆け出し記者だった著者は、落合という人物に対して抱いていたものといえば、「三冠王」「オレ流」という漠然としたイメージだけだったそうです。
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◉本書<あとがき>には、下記のように書かれています。
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○週刊誌連載を終え、一から手を入れるつもりで単行本化に向けての加筆を始めたが、最後の1行を書こうという段になっても、私はまだ落合が何者であるかを表す端的な一文を見つけることはできなかった。ただ、それでいいのだろうと思った。
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○落合は、接する側の立場や状況によって様々な顔に映るのだということがわかった。
○破壊者であると見る人もいれば、迷える者を導く革命家であると信じる人もいる。
○一つだけ共通しているのは、いつまでも謎であり、その言動の真意について深く考えざるをえないことだった。
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○本書は当時の選手やスタッフの方々の協力なしには完成できなかった。各章に登場する視点人物として、鮮やかな記憶と自らの心の葛藤を証言してくれた関係者の方々に、この場を借りて改めて謝意をお伝えしたい。
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◉著者・鈴木忠平さんのプロフィール
本書奥付の著者紹介によれば、鈴木忠平さんは1977年生まれの44歳のようですが、日刊スポーツ新聞社でプロ野球担当記者を16年間経験されただけに、476ページにおよぶ労作です。いや間違いなく「大作」だと、私は高く評価します。
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◉本書は以下の12章からなっています。
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○第1章 2004 川崎憲次郎 スポットライト
○第2章 2005 森野将彦 奪うか、奪われるか
○第3章 2006 福留孝介 二つの涙
○第4章 2007 宇野 勝 ロマンか勝利か
○第5章 2007 岡本真也 味方なき決断
○第6章 2008 中田宗男 時代の逆風
○第7章 2009 吉見一起 エースの条件
○第8章 2010 和田一浩 逃げ場のない地獄
○第9章 2011 小林正人 「2」というカード
○第10章 2011 井手 峻 グラウンド外の戦い
○第11章 2011 トニ・ブランコ 真の渇望
○第12章 2011 荒木雅博 内面に生まれたもの
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この12の章に含まれる8年間は「落合博満監督時代の中日ドラゴンズ」です。落合ファンの私は、12章のうち10章ぐらいは記憶に残っているので、懐かしくも興味深く読みました。
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◉落合博満さん ~球史に残る名選手/大監督
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本書の主人公落合博満さんは、1953年生まれの68歳で、私と同じ東北出身。年齢は私より17歳若く、お元気のようですね!本書の書名のような、ある意味「嫌われた監督」の面もあったかもしれないが、私は「落合博満は、日本プロ野球史に輝く名選手・大監督」だとみなします。
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球団歴はロッテ(8年)、中日(7年)、巨人(3年)、日本ハム(2年)の4球団で20年間。監督歴は「中日ドラゴンズ監督」を8年間(2004-2011)務め、全ての年でAクラス入り。そして、「リーグ優勝4回・日本シリーズ優勝1回」と輝かしい!
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そして何よりも、1982年に史上最年少記録となった「三冠王」を獲得。ロッテ時代に、史上4人目かつ日本プロ野球史上唯一となる「3度の三冠王」を達成。日本のプロ野球史に燦然と輝く、偉大な打者であることは間違いないですね!
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◉「第5章 2007 岡本真也 味方なき決断」から(抜粋)
2007年の日本シリーズ。8回まで「完全試合」を続けていた山井大介投手に代えて、9回に絶対の切り札・岩瀬仁紀投手を送り、初の日本シリーズ制覇を成し遂げた。その時の「山井降板」の落合監督采配に、賛否両論が噴出しました。この章から要所を抜粋しました。
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著者・鈴木忠平「なぜ、山井を代えたのですか?」
落合博満「山井が自分からダメだと言ったんだ。いっぱいだというからだ」
鈴木「岩瀬に代えようと、あらかじめ頭にあったわけではないのですか? あの場面、監督が書いた答えは何だったのですか?」
落合「これまで、うちは日本シリーズで負けてきたよな。あれは俺の甘さだったんだ……」
落合「2004年のシリーズで岡本を代えようとしただろう。でも、そのシーズンに頑張った選手だからって続投させた。俺はどうしても、いつもと同じように戦いたいとか、そういう考えが捨てきれなかったんだ」
落合「でもな、負けてわかったよ。それまでどれだけ尽くしてきた選手でも、ある意味で切り捨てる非情さは必要だったんだ」
落合「監督っていうのはな、選手もスタッフもその家族も、全員が乗っている船を目指す港に到着させなけりゃならないんだ。誰か一人のために、その船を沈めるわけにはいかないんだ。そういえば、わかるだろう?」
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◉著者鈴木のまとめ
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山井を代えたのは落合だった。確信的にそうしたのだ。それと同時に、私の前にいる落合は限りなく人間だった。最初から冷徹なマシンのように決断したわけではなかった。血が通っている限り、どうしようもなく引きずってしまうものを断ち切れず、もがいた末にそれを捨て去り、ようやく非情という答えに辿り着いた。
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「じゃあな」と告げて去っていく落合の背中を、その場に立ち尽くしたまま見ていた。勝者とは、こういうものか………。私は戦慄していた。
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写真:Atelier秀樹
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『秀樹杉松』126巻3845号 2021.11.3/ hideki-sansho.hatenablog.com #885