秀樹杉松

祖父と孫、禾と木、松と杉

司馬遼太郎『源義経』/ NHK「鎌倉殿の13人」 / 文覚上人(遠藤盛遠) 市川猿之助) / 頼朝と義経 / 袈裟と盛遠【特別付録】『源平盛衰記』袈裟と盛遠  文覚発心譚東帰節女伝

 

<はじめに>

東京の桜開花”がきょう発表されたので、近くの神田川善福寺川を散歩して確認してきました。本稿は長文のstudyとなりましたが、よろしかったらご覧ください。何かの参考になるかもしれません。

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近くの書店で、司馬遼太郎著『義経(文春文庫上下巻)を見つけました。カバー帯には「NHK大河ドラマ 鎌倉殿13人で注目」とある。義経が好きなこともあり、読むことにしました。少し引用します。

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本書上巻の「京の源氏」より

煽動者が暗躍しはじめたのは、京だけではない。

文覚(もんがく)という荒業僧である。この僧は人を煽動し、そのことに芸術的興奮を覚えるというたちの人物であった。文覚は、僧位僧階をもった宗門貴族ではなく、山谷で荒業する野僧に過ぎなかった。その名は、奇行によって高い。

 

来歴そのものが、数奇である。もと藤武者盛遠(もりとお)と言い、北面武士であった。十八の年、女を恋うた。袈裟御前 (けさごぜん)といい、従妹にあたる。しかし他家(北面武士渡辺渡(わたる)にとつぎ、人の妻であった。が、文覚の性格は他人の妻であろうとなかろうとかまわず言い寄り、それが遂げられぬと知ると、叔母にあたる袈裟の実母衣川に言い寄り「我が恋を遂げさせよ。さなくば叔母上のお命をちぢめ奉る」と脅迫した。

 

衣川もたまらず、袈裟にそのことを告げた。袈裟もやむをえず、「いついつの夜、忍うで来たまえ。我が夫を討って給わらば、おおせに従いましょう」と言った。文覚、忍び入り、首尾よく渡辺の首を掻き切り、走り出てあかるい場所で包みをひろげてみると、首は袈裟のものであった文覚はこの事件の衝撃で出家した

 〜 (本書上巻 p.282~283)

 

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確か以前に調べた記憶がありますが、改めて文覚(遠藤盛遠)と袈裟御前の復習をすることになり、ネット情報を調べまくりました。その一部を引用紹介します。

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文覚(もんがく)

平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武士・真言宗の僧。俗名は遠藤盛遠(えんどうもりとお)。文学、あるいは文覚上人文覚聖人高尾の聖とも呼ばれる。

 ~ウィキペディア ja.m.wikipedia.org

 

 平安時代末期~鎌倉時代初頭の真言宗僧侶。もと北面の武士袈裟御前を殺し。これを悔いて出家し、諸国の霊場で苦行した。後に、高雄神護寺の復興を発願し、後白河法王の御所を騒がし、伊豆に流された。源頼朝の挙兵に協力し、一時大いに権勢をふるった。頼朝の没後、謀反を企て失敗し、佐渡に流され、いったん許されたが再び鎮西に流され、失意のうちに没したという。

   (ブリタニカ国際大百科事典小項目事典)http://kotobank.jp

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文覚 市川猿之助 ~「鎌倉殿の13人」  

  都と坂東を行き来し、平家打倒を説いて回る謎の僧後白河法皇や頼朝の父・義朝とも縁があるらしく、頼朝にアプローチしてくる。

 ~(NHK nhk.or.jp

 

文覚とは?

 市川猿之助演じる不良僧を解説!人妻に横恋慕して斬り殺す!?【鎌倉殿の13人】

   ~(日本の文化の入り口マガジン和楽 intojapanwaraku.com

 

文覚上人の功績

文覚上人は、元々は京都の武士摂津国を本拠地とした渡辺党の者で、出家する前の名を遠藤盛遠(えんどうもりとう)といった。頼朝様も京育ちだったから知り合いだったと思われる。頼朝様が伊豆に流された後接触し、挙兵を促した一人でもある。

 

鎌倉幕府を後ろ盾にして、高野山や京都の寺をはじめとする各地の寺社の復興を手がけている。鎌倉の近くだと江島神社もそうだし、三浦も世話になった。

  ~(日本の文化の入り口マガジン和楽 intojapanwaraku.com) 

 

衝撃!文覚上人の出家の理由

 

文覚上人は19歳で出家したといわれている。その理由に源平盛衰記にはこんな話がある。

若かりし頃、従兄弟(いとこ)で親友である渡辺渡(わたなべわたる)の美人妻・袈裟(けさ)御前に横恋慕していたんだ。思い余った盛遠は、ついに渡を殺して袈裟御前を我がものにしようと企てる。

 

それを知った袈裟御前は、盛遠に渡が眠る位置を教えた。深夜、渡の寝所に忍び込んだ盛遠。刀を振りかぶって一太刀で渡の首を切り落とした。しかしコロリと転がったその首は、袈裟御前のものだった。袈裟御前は己の貞操を守るため、盛遠に嘘を教え、自分を殺すように仕向けたのだ。盛遠は我に返って自分の罪を悔やみ出家し、文覚と名乗った

  ~(日本の文化の入り口マガジン和楽 intojapanwaraku.com

 

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特別付録

長文になりますが、盛遠(文覚上人)と袈裟御前を知る恰好の文献情報として、以下の袈裟と盛遠を掲載します。どうぞ、じっくりご覧ください。源平盛衰記が元になっているので、文章が現代風ではありません。

*「と」が「ト」となっている箇所があります。(私の誤植にあらず)

*「、」が「。」になっている箇所もあります(同上)

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源平盛衰記袈裟と盛遠 文覚発心譚 東帰節女伝

源平盛衰記』十九巻「文覚発心附東帰節女事」ヨリ。芥川龍之介袈裟と盛遠ノ原拠ナリ

 ~(磯村隠亡丸の余苦在話(すなまるおんぼうまる の よくあるはなし) onboumaru.com

 

こんな話がございます。

 

源頼朝の腹心に、文覚(もんがく)という僧侶がございました。俗名を遠藤盛遠(えんどう もりとお)と申しまして。摂津源氏の渡辺党の傍流、遠藤氏の出でございます。

 

まだ文覚が十七歳の血気盛んな若者だった頃のこと。盛遠には衣川(ころもがわ)と申す叔母が一人おりました。奥州衣川に縁付いたため、そう呼ばれておりましたが。当時はすでに故郷に戻っておりました。若いころは見目麗しく、心ばえもやさしいことで評判でございましたが。今はまだ若いながら寡婦となり、一人寂しく暮らしております。

 

この衣川には愛娘がひとりおりまして。名をあまと申しましたが。衣川の子だというので、人々から袈裟(けさ)と呼ばれておりました。この娘もまた、親に似て美人でございます。青い黛をひいた眉に丹花のごとき赤い唇。その愛らしさは楊貴妃もかくやと思わせるほどで。

 

十四の春を迎えた頃には、名だたる貴人が我も我もと、求婚に押し掛けたと申します。その中に、源左衛門尉渡(げん さえもんのじょう わたる)と申す、一門の若者がおりまして。この者が袈裟の心を射止めまして、二人は晴れて夫婦となりました。若者同士、仲睦まじく、三年の月日がつつがなく過ぎていきましたが。

 

袈裟が十六、盛遠が十七の年でございます。その年の三月、淀川に渡辺橋が掛けられまして。橋供養―-渡り初めですナ―-が執り行われました。盛遠は直垂、鎧、烏帽子、長刀という出立ちで、その場を取り仕切っておりました。供養が滞りなく終わりますト、三々五々、帰宅の途に就きます。その時盛遠の目に一人の女が見えた。橋のたもとに設けられた桟敷から輿に乗り込もうとしている。世にも美しい女でございます。

 

盛遠はどこの女だろうかト、輿の跡をひそかにつけました。すると辿り着いたのは同じ北面武士にして、同族の源左衛門尉渡の家。「なるほど、これが俺の叔母だという衣川の娘か」ト、この時、盛遠は初めて従妹である袈裟の素顔を知りました。

 

実は三年前、盛遠もその美貌を噂に聞き、求婚していたひとりではございますが。叔母に当たる衣川から、人づてに拒絶されていたのでございます。すでに荒れくれ者の評判が立ち過ぎていたからかもしれません。盛遠は袈裟の美しさがまぶたに焼き付いて離れない。その年の秋までに実に半年もの間、寝ても覚めても袈裟のことばかり考えておりました。そしてついに、九月の半ば。盛遠は意を決して、衣川のもとを訪れます。

 

衣川の前へ通されると、あろうことか盛遠は刀を抜く。髪を引っつかみ、腹に刀を押し当てます。衣川は突然の狼藉になされるがまま。賊が甥の盛遠であることを知るト、なおいっそう困惑して言いました。「甥と叔母との間で何の恨みがあると申すのです。きっと誰かに悪言を吹き込まれてきたのに違いない。一体どうしたのか、おっしゃいなさい」

 

盛遠は容赦なく目をカッと見開き、叔母の衣川を脅かすように言う。

いかに叔母ともうせど、我を亡き者にしようと言うならば、もはや敵同然。渡辺党の習いとして、敵を生かしておくわけにはまいらぬ。三年前、袈裟御前を妻にしたいと人づてに申し入れたのを、拒まれたであろう。以来、恋に煩いて、我が命は草葉の露のように消え入らんばかりだ。これが敵でなくて何と申す」ト、まったく言いがかりという他にない。

 

衣川は腹にぐっと刀が押し込まれるのを感じて、打ち震える。もはや、偽ってでも命乞いをするしかございません。「そこまでそなたが思っていたと知っていれば、渡にやりはしませんでしたものを。貧しい身なれば、どなたか頼もしいお方にと思っていたところを、あれが奪うように連れ去ったのです。

 

これほど思われているのなら、たやすいこと。まず、刀を収めなさい。今宵、ここに袈裟を呼んでこさせましょう」鼻息の荒い者ほど、落ちついて諭されると従順になる。盛遠は素直に刀を鞘に収め、「それでは今宵」ト、念を押して去っていきました。

 

――チョット、一息つきまして。

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盛遠が帰っていくト、衣川は途方に暮れて、ただただ涙を流しました。あの様子では、言うことを聞かなければ何をしでかすか分からない。さりとて、屈して娘を逢わせれば、婿の渡に合わせる顔がない。悩みに悩んだ末に、衣川は袈裟のもとへ文を書いて送りました。「近頃は風邪心地で伏しております。久しぶりに母娘水入らずで話したいこともありますので、ただ一人で忍んでおわしませ

 

袈裟は文を受け取りますト、独り身の母の心細さに胸を打たれる気持ちがいたしまして。言われたとおり、一人で密かに母の家を訪ねていきました。母はまじまじと娘の顔を見たかと思うト、はらはらと涙を落とす。手箱から小刀を取り出して娘に示します。袈裟は何事かト驚いて、母を見る。


衣川は盛遠が訪ねてきた一件を娘に話しました。「盛遠に理不尽に殺されるくらいなら、お前の手にかかって死にたい。さあ」ト、母は娘の目の前に刀をぐっと差し出す。袈裟はあまりのことに言葉を失いますが。ともかくもト、一旦母に刀を押し返す。「命あっての物種でございます。このことは何卒、私にお任せくださいませ」ト、毅然と答えはいたしましたが。

 

まだ十六の若妻です。夫、渡のことを考えるト、どうしたものか分からなくなる。夜。盛遠は、ひとり浮かれた様子で鬢を掻き、髭を撫でながら、やってくる。袈裟は、ト申しますト。荒武者求められるまま、応じました。そして夜は更け、鳥啼く時刻が近づいてくる。「それでは、これでお暇いたします」袈裟は床から己の衣に手を伸ばす。

「待て」盛遠のごつごつとした手が、女の細い腕をとらえました。

 

「俺も弓矢を取る身だ。心を許さぬ女をただで返して、ひとり恋患うような習いはない。俺の妻になれ。さもなくば、こうするまでだ」ト、突然立ち上がったかと思うト、太刀を手に取り鞘を払う。裸の男が刀を抜いて目の前に仁王立ちしている。袈裟の脳裏に、我が身の可愛さ、母への孝心、そして夫への義理が瞬時に駆け巡りました。

 

「何をおっしゃるのです。夜明けに暇を乞うのは、女のたしなみではございませんか」「なんだと」「あなたは私の心が分からないから、そんなことをおっしゃるのです。私は十四の年に渡の妻となり、はや三年でございます。その間、折々につけて不満ばかりが溜まり、もはや家を出ようと考えていたのでございます。とは言え、母の仰せに背くわけにもいかず、思い悩んでいたところへ、あなたが現れたのではございませんか」

 

盛遠は刀を握ったまま、聞いている。袈裟は額に汗の滴るのを感じながら、落ち着いて先を続けます。「渡を殺してください」さすがにその一言に、盛遠も驚いた。「殺せだと」「そうです。私を本当に思うのなら、殺してください。承知してくださらぬのなら、私は二度とあなたと会いはいたしません」「承知しないことがあるものか。お前さえ良ければ、この刀でひと思いにやってやる

 

心なしか盛遠の声が震えているようにも聞こえます。「きっと承知するのですね。では、こうしてください。私は渡の待つ家へ先に行って支度をします夜、渡に沐浴をさせた後に、酒を酔うほど飲ませます。渡は酒に弱いですから、正体なく眠ってしまうでしょう。あなたは寝間に忍び込み、濡れた髪を手探りに捜して首を斬るのです」生唾を飲み込む音がくっと鳴った。

 

「分かった」ト盛遠が答えるト、袈裟は悠々と衣を着始める。男が黙って見守っているのが、背中にひしひしと感じられます。袈裟は渡との住まいへ戻っていきました。その日、渡が帰ると、袈裟は、「母が急病のため、見舞いに行っておりましたが、もうすっかり良くなりました。お酒を用意しましたので、今宵は祝いの宴にお付き合いください」ト、夫に言う。愛しい妻との久しぶりの酒盛りに、渡はつい前後不覚に酔いました。袈裟は時を見計らい、渡を寝間へ連れて行って奥の方へ寝かせました

 

一方の盛遠は――。袈裟に指示されたとおり、夜半を待って、渡の家の寝間に忍び込む。暗闇の中を這って進みます。ト、確かに濡れた髪が手に触れた。烏帽子が傍らに転がっている頭を探っていくと、男の髻これぞ、渡に違いない。気づかれてはならぬ。早くしろと袈裟が言っている。そんな気がして、震える手で刀を抜きますト。ヤッと一刀のもとに、首を斬り落とした

 

死骸の衣から袖を引きちぎり、首を包んで駆け足で家に帰る。盛遠は家に着くと、首を投げ出して、横になりました。「やった。ついにやった。長年の思いを今、遂げたのだ――」よほど気分が高まっているのか、盛遠はなかなか寝付けません。

 

そうしているうちに朝が来る。郎党がやってきて、盛遠に告げる。「左衛門尉殿の屋敷にて、変事があったとのことにござりまする」「なんだと」ト、盛遠は一応驚いてみせましたが、心の中ではほくそ笑んでいる。渡の死が公になれば、大手を振って袈裟を我がものに出来る。そう思っているところへ――。

 

数日の間、ご面会を差し控えさせていただきたいと、左衛門尉殿が――」「ま、待て。左衛門尉が――」呆然としている主人をよそ目に、郎党は去っていく。盛遠は明け方に放り投げた首に慌てて駆け寄り、包みを開ける。ト、そこに現れたのは男髪に結った袈裟の首。その死に顔は、固く瞼を閉じておりました――。

 

三年の恋が夢のようにはかなくなったのを知りまして。盛遠は己の浅ましさに菩提心を発し、出家します阿弥陀仏(じょうあみだぶつ)と名乗り、数年の荒行を経て、文覚と名を改めました

 

後にこの文覚は、源頼朝の腹心の一人となりまして。平氏討伐への蜂起を進言するなど、歴史に名を刻む活躍をいたしますが。その出世の端緒には、一人の女の覚悟の死があったという。

 

そんなよくあるはなし―――。もとい、余苦在話でございます

源平盛衰記第十九巻『文覚発心附東帰節女事』ヨリ。芥川龍之介袈裟と盛遠ノ原拠ナリ)

 

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『秀樹杉松』129巻3903号 2022.3.20/ hideki-sansho.hatenablog.com No.943