斉東野人『残照はるかに 阿弖流為別伝』(海象社 2013年刊)
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○戦時中は日本の歴史(国史)が重視され、国民学校(小学校)の3年間は”叩き込まれ”ました。中でも、8世紀~9世紀に陸奥国で起きた「三十八年戦争」(774~811)と、11世紀後半の同じ陸奥国で起きた「前九年の役」「後三年の役」には興味を覚えました。自分が生まれ育った地での 大昔の ”歴史的な戦い” だったからです。
○子供の頃は、「征夷大将軍の坂上田村麻呂はエライ!」「蝦夷軍はなぜ従わずに戦うのか?」と単純に思っていました。また、前九年役の衣川の戦いで、源義家が「衣のたてはほころびにけり」と歌いかけた時、安倍貞任が即座に「年をへし糸のみだれのくるしさに」と答えたので、義家は感心して矢をはずして引き上げた、と言う”人口に膾炙”した説話も思い出します。
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今回取り上げるのは、
斉東野人『残照はるかに 阿弖流為別伝』で、奥州「三十八年戦争」が舞台です。
<註>阿弖流為(アテルイ)=大和朝廷軍に立ち向かう蝦夷(えみし)軍の総大将
◉斉東野人(さいとう のひと)
著者の「斉東野人」を「さいとう やじん」と読みましたが、奥付を見たら「さいとう のひと」と仮名が振ってあります。何かいわくがありそうなので、スマホ検索したら
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斉東野人(せいとうやじん):《「孟子」万章上から。斉国の東辺の田舎者の意。物の道理を知らない田舎者。人を蔑視して言う語》と出てきました。
〜goo辞書 dictionary.goo.ne.jp から
「斉(せい)」は紀元前に中国に存在した斉国のことで、「斉東野人」(せいとうやじん) は斉国の東辺の田舎者の意で、物の道理を知らない田舎者であることが、やっとわかりました。本書著者の「斉東野人」は、(「せいとうやじん」とは異なる)「さいとう のひと」と読ませる、がやっと解りました。漢字は同じだが、読み方の違いで区別している?すごいペンネームですね!
昭和22(1947)、埼玉県川口市生まれ。早稲田大学卒。元新聞記者。代表作に長編小説『残照はるかに 阿弖流爲別伝』(海象社刊)。共著に『唱歌・童謡物語り』(岩波書店刊)ほか。本名・岡田康晴(おかだやすはる)。(本書カバー帯)
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◉『残照はるかに 阿弖流為別伝』(斉東野人著)
舞台は三十八年戦争(三十八年争乱)=38年に及ぶ「征夷の時代」(774~811年)
「必ずや城柵を犯さん」。古代東北を揺るがす争乱は、宇屈波宇(うくつはう)が言い放った一言から始まった。陸奥・黄金迫(こがねはざま)での金産出に狂喜した大和朝廷は、大軍を送り込み、支配地域拡大と城柵建設に乗り出す。
一方で宇屈波宇のような離反者を生み、平和だった日高見(ひたかみ)の地は『三十八年戦争の血に染まってゆく。蝦夷軍の総大将・青年阿弖流爲(あてるい)は、万千の朝廷を相手に、幾たびかの圧倒的な勝利をものにするのだが……』」
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幾度となく、大熊のように襲いかかる大和朝廷軍に立ち向かう蝦夷(えみし)軍の総大将、阿弖流為(あてるい)。戦場ならぬ上洛の地で斬首された史実を巡って、古代東北の争乱と群像を精緻な構成で活写する歴史巨編」
~以上、本書カバー帯より
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阿弖流為(あてるい)、母礼(もれ)、宇屈波宇(うくつはう)、の他に、紀古佐美(きのこさみ)、石川名足(いしかわのなたり)、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)の他に、大伴家持(おおとものやかもち)、大伴旅人(おおとものたびと)、桓武大王(かんむおおきみ=桓武天皇)なども登場する、758ページの超分厚い、読み応えのある歴史小説です。
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【備考】
本書に特に親近感を覚えたことがあります。生まれ育った土地が舞台となっているので、私のことを「わ(我)」、あなたのことを「な(汝)」と会話されていることです。田舎では、自分を我(わ)、相手を汝(な)と呼んで育ったからです。
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写真:Atelier秀樹
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『秀樹杉松』130巻3930号 2022.5.5.19/ hideki-sansho.hatenablog.com No.970