中山七里 ~1)地名、 2)「中山七里」を題する作品
前項で、「中山七里というペンネームが素敵」と書きました。どこかで・いつか聞いたような名称だったからです。情報検索したら、”ヤッパリ”でした。そこで、昨日の前号に引き続いて本稿を書くことになりました。
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~以下は、フリー百科事典『ウィキペディア(ja.m.wikipedia.org)』より
中山七里の風景
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中山七里(なかやましちり)は、岐阜県にある飛騨川中流の渓谷。またそれを題材とした文芸作品。
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◉概要
○岐阜県下呂市を流れる木曽川支流の飛騨川の中流に沿って、下呂市三原の帯雲橋(たいうんきょう)から同市金山町金山の境橋にかけて続く、全長約28キロメートルの渓谷。
○急峻な山地を飛騨川が浸食してできた渓谷で、奇岩や怪石が数多くあり、また春は桜や岩つつじ、夏はホタル、秋は紅葉と、四季折々の風景に富む観光名所となっている。
○付近の下原ダムはこの渓谷の景観を守るため常時放水を行っている。飛騨木曽川国定公園の一部に指定されているほか、飛騨・美濃紅葉三十三選にも選定されている。
○名称の「中山七里」は、豊臣秀吉の武将で飛騨一国の国主となった金森長近が、五つもの峠を越える旧道がいかにも不便なことから、天正14年 (1586) に飛騨街道の改良に着手、現在の下呂から金山にかけて続く険しい山中の飛騨川沿いの難所を約七里にわたって開いたことに由来する。
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◉「中山七里」を題する作品
○戯曲
長谷川伸の時代物の戯曲。1929年(昭和4年)10月『舞台戯曲』十月号に発表された、「股旅物」の傑作。幾度も舞台化、映画化、テレビドラマ化された。
○新歌舞伎
1929年(昭和4年)10月、新橋演舞場初演。政吉は六代目尾上菊五郎が務めた。1946年(昭和21年)11月大阪新歌舞伎座の東西合同大歌舞伎で上演された『中山七里』では、二代目市川莚蔵が娘おはなで初舞台を踏んでいるが、これが後の市川雷蔵である。
○映画
3作品がある。
- 公開:1930年(昭和5年)11月、製作:マキノ御室、監督・脚本:並木鏡太郎、政吉:四代目澤村國太郎。
- 公開:1930年(昭和5年)12月、製作:ミナトーキー、監督・脚本:落合浪雄、政吉:二代目市川小太夫。
- 公開:1962年(昭和37年)5月、製作:大映京都、監督:池広一夫、脚本:宇野正男・松村正温、政吉:市川雷蔵。
○テレビドラマ
1972年(昭和47年)10月に始まったNET『長谷川伸シリーズ』の第4話。制作:NET、東映、監督:原田隆司、脚本:加藤泰、政吉:竹脇無我。
○歌謡曲
- 中山七里 (橋幸夫の曲) - 1962年の大映版『中山七里』の主題歌。作詞:佐伯孝夫、作曲:吉田正、歌:橋幸夫。
~以上、『ウィキペディア(ja.m.wikipedia.org)』より
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<編注>
スマホで橋幸夫さんの「中山七里」たった今 視聴、なんかホロっとしました。
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写真 / Atelier秀樹
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『秀樹杉松』133巻3994号 2022.9.25/ hideki-sansho.hatenablog.com #1034