「四季」折々いろんな花が咲く / ヴィヴァルディ(1678)
作曲家の生年 覚書 (1)
クラシック音楽を理解し鑑賞する上で、作曲家を知ることが重要だ。そのため、各作曲家の生年を覚え、何年ぐらい生きたかも調べた。生まれた年を暗記するだけでなく、時代との関連や作品傾向などにも照らし合わせ、その作曲家の音楽に面白おかしく接近しよう、との気持も込めている。これから紹介する「作曲家生年覚書」は、小生の必要から案出したもので、音楽関係の本のどこにも書かれていない。その意味では、筆者のオリジナルかも、と悦に入っている。
もう昔の話になるが、割り切れないで何処までも続く「平方根」の暗記方法を学校で習った。今でも覚えていて、スラスラ言えるから不思議だ。√2≒1.41421356・・・で、これを“一夜一夜に人見頃” (ヒトヨヒトヨニヒトミゴロ)と暗記したものだ。また、√3≒1.7320508・・・“人並みに奢れや”(ヒトナミニオゴレヤ)と覚えた。
最近話題の「円周率π」もそうだった。確か、π≒3.141592613・・・で、“身一つ世一つ生くに無意味”(ミヒトツヨヒトツイクニムイミ)と暗記した。
余談だが、今の時代、電話、車ナンバー、パスワードなど、けた数が少ないのに、覚えるのに一苦労する。自分の生年月日だけは絶対忘れないので、それに関連づけて覚えようとするが、それだと盗まれやしすいからダメだ、と注意される。
「イロハニホヘト・・・」も“色は匂へど散りぬるを・・・”と覚え、未だに忘れない。結局、作曲家の生年も、こじつけ・語呂合わせ・連想式など、何かに関連づけて覚える必要がある。自分で無理矢理にでも案出する以外にない。そのつもりで作曲家の生年を調べ、覚え込みにかかったが、なかなか思い通りにいかない。(あるいは、音大受験生達は特別の暗記法を知っているかも知れないが)
主だった作曲家の生年記憶の、奮迅努力の跡を振り返ってみたい。せっかく苦労して覚えたが、年月がたつと思い出せない作曲家もいる。これから紹介する内容は、これまでに読んだ本にも出ていない。また、誰からも教わっていない。その限りでは、完全な小生のオリジナリティ?
何のために作曲家の生年にこだわるかと問われれば、作曲家に限らず人間は全て“時代の宿命”を背負っており、同時に新しい時代を切り拓く、というのが小生の人間観であり、音楽史を学び作曲家を理解する上で必要だと、考えたからである。以下年代順を基本に、記憶を辿りながら書いてみたい。
一番古い続き番号だよ / モンテヴェルディ(1567)
高校時代、フランス革命(1789)は続き番号「789」で覚えた。調べて見ると、16世紀前半までに生まれた作曲家の生年には“頃”が付くのが多い。16世紀後半生まれのモンテヴェルディ(1567)は、「聖母マリアのための夕べの祈り(晩祷)」やオペラ「オルフェオ」「ウリッセの帰郷」などで“世界最初のオペラの巨匠”といわれる。何と567の続き番号ではないか。“一番古い続き番号”だから、1567年生まれということなる。
「四季」いろんな花が咲く / ヴィヴァルディ(1678)
バロック音楽の素晴らしさを教えてくれるヴィヴァルディ。続き番号678でも覚えられるが、あの名曲<四季>に関連づけたい。春・夏・秋・冬、四季折々いろいろな花が咲き競う。そうだ!1678は“いろんな花”と読める。ヴィヴァルディにピッタリの 「四季」いろんな花が咲く” に決めた。
バッハは音楽のイロハ暦(ごよみ)。ヘンデルもだよ / バッハとヘンデル(1685)
J.S.バッハ(大バッハ)は“音楽の父”と敬愛される。つまり、時代的にも音楽そのものも、クラシックの先頭にいる。氏名のイロハ順というように、168を「イロハ」と読めば、先頭に位置するバッハに相応しい。たが末尾の5が残る。バッハ(1685)の生年は、ベートーヴェン(1770)の85年前、マーラー(1860)の175年も前で、今を遡ること326年の1685年の大昔だ。歴史の巨大な流れを感じる。
歴史を刻むのが時計であり、それを記録するのは暦(こよみ)である。末尾の「5」を「暦のコ」に読ませ、1685を“イロハごよみ”と覚えることにした。自分が分かればよいのだから、これでよい。
バッハの陰で目立たない感がないでもないが、オラトリオ「メサイア」、オペラ「ジュリアス・シーザー」などの名曲を産んだヘンデルも、バッハと同年の1685年生まれである。だから、“忘れるな、ヘンデルも同じイロハ暦だよ”と覚えた。
人並みに奢れや / ハイドン(1732)
前述の、√3≒1.73205081・・・“人並みに、奢れや”(ヒトナミニ、オゴレヤ)にピッタリなので、そのまま適用した。ハイドンは100以上の交響曲を作り、“交響曲の父”と言われるが、同じ「ウィーン古典派」のモーツァルト、ベートーヴェンの両巨匠が目立つだけに、ややもすれば地味な存在に甘んじている。だが、交響曲だけでなく、“三大オラトリオ”の一つに数えられる名曲「天地創造」も作曲したハイドンが「俺も、二人並みに扱っ欲しい」と願っていても可笑しくない。まさに、“人並みにおごれや”であろう。(「クラシック音楽への憧れ」)
(秀樹杉松 82-2371)