作曲家「ムソルグスキー」(1839~1881)”研究”
○有名な作曲家の名前を覚えるため、そして忘れないために、私は作曲家の生まれた年を利用しています。
○例えば、ヴィヴァルディ(1678~1741)は、ヴァイオリン協奏曲「和声と創意の試み」第1集 =「四季」に因んで、生年の1678年を「四季、色んな花(1678)が咲く」と覚えているので、絶対忘れません。
○これに倣って、
ムソルグスキー(1839~1881)は、「ムソルグスキー」というロシア語特有の難しい名前を逆用し、生まれ年の「1839」の末尾「39」を使い、「ム39ルシイ」=「むさ苦しい」、と覚えているので忘れることはないです。
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○ロシアの作家で、「ロシア五人組」の一人。「五人組」の中では、そのプロパガンダと民謡に忠実な姿勢をとり、ロシアの史実や現実生活を題材とした歌劇や風刺歌曲を書いた。
○国民楽派の作曲家に分類され、歌劇『ボリス・ゴドウノフ』や管弦楽曲『禿山の一夜』、ピアノ組曲『展覧会の絵』などが代表作とされる。
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◉ムソルグスキー(1839~1881 ロシア)~教育芸術社
○19世紀後半のロシアは、自分たちの「国民音楽」を作ることを目指す作曲家たちが現れた。彼らはやがて、「ロシア五人組」と呼ばれるようになるが、その一人がムソルグスキー。
○ロシアの地主の家に生まれた彼は、母からピアノを習いながら、音楽の才能を現した。士官学校を出て、軍人としての生活を始めたものの、そのころに出会ったボロディン、キュイ、バラキレフらから刺激を受けて、作曲に専念するようにななった。
○その後、交通省で働きながら、オペラ「ボリス・ゴドウノフ」やピアノ組曲「展覧会の絵」などの作品を生み出していった。しかし、孤独感に苦しみ、やがて破滅的な生活へと踏み込んでいった彼は、42歳をむかえてまもなく、病によってこの世を去った。
○ムソルグスキーは多くの作品を未完成のまま残しているが、彼の独自の音楽は、のちの世代の作曲家に大きな影響を与えている。
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◉ムソルグスキー ~( )
○ロシア国民楽派の5人組の一人。はじめ軍人であったが、2年ほどで辞め、パラキレフを中心としたグループ(5人組)に加わり、国民主義音楽の創造に積極的に取り組んだ。フランス近代音楽にも多大な影響を残す。
「展覧会の絵」
前年に死んだ友人の画家ハルトマンの追悼展覧会が1874年に催され、その時の印象をもとに作曲。ラヴェルによる管弦楽編曲が有名。
「禿山の一夜」
リムスキー=コルサコフがムソルグスキーの死後、その意図を活かして、「禿山の聖ヨハネ祭の夜」の最終稿と思われる歌劇「ソロチンスクの市」の中の「若者の夢」およびその前の原稿である合作オペラ-バレエ「ムラダ」の中の合唱・管弦楽曲に編曲した。交響詩と呼ぶことがある。
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文と写真=Atelier秀樹
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『秀樹杉松』136巻4053号 2023.1.9 hideki-sansho.hatenablog.com #1093